イケメンに愛されたい

喪女卒業しました

私は友達が少ない

異常に少ない。

私には小中学校で仲が良くいつも遊んでいた近所に住む同い年のいわゆる幼馴染らしき人が二人いるのですがいつの間にか疎遠になってしまいまぁそんなものかな、と思って気にも止めていなかったのですが、最近何気なくfacebookを飛び歩いていたら、私以外のその二人と小学生時代仲の良かった別の子が結構頻繁に遊んでいるという記事を目撃してしまいそっとブラウザを閉じたというしょっぱい思いをしました。

正直、友達は?と言われて上げられるのはどんなに頑張って数えても、一人。コミュ障で他人と話すのが得意ではないので自ら誰かに話しかけたりコンタクトを取ろうとすることはまずない。更に先述の出来事からも垣間見えるように、私は昔から、仲が良くてもクラスが変わったり学校が変わると連絡を取らなくなるので交友関係が長続きしない。しかしそんな私の唯一とも言える高校からの友人とは、何故だか今も付き合いが続いています。3年間クラスが同じでさらに半分以上の趣味を共有できているので好きなものをとことん語り合えるし、共有できないものもお互い流して聞いたり聞いてもらったり、過度な干渉をしないというところが続いている理由の一部だと思うのです。

それに、彼女もどこかしらに欠陥があるのも理由のひとつだと思っています。バンドマンに依存気味でありオタクであり彼氏がいない。そして彼女と私は大まかな思考が似ている。故に一を話せば十とはいかなくても六か七くらいは理解してくれる。二人の欠陥が多すぎて補え切れないところも多いのですがそれが逆に居心地良く、お互いの傷を舐め合うのはとても楽しいのです。

なので、友達が少ない、というか一人しかいない私ですがこの環境がとても心地よく不自由を感じていないので特に親しい友人を増やそうとは思わないのですが、将来、万が一、私が結婚などする場合、結婚式に呼ぶ友人が一人と言うのはどうなんだろう…と考えることはあります。新郎側の友人から「新婦の友人一人って、やばくね」などと言われてしまっては来てくれた彼女にも新郎にも申し訳が無い。身内だけの式にするという手もありますがその場合新郎の許可も得なければならないし苦楽を共にしてきた友人には私の晴れ姿を見てもらいたいのです。と言うことを当の彼女に話したところ真顔で「新郎どこだよ」と酷く冷たくあしらわれ切ない思いをしました。

きっと新郎など一生現れないし自分でも他人と暮らすことはできないと思うのでもしもも万が一も訪れることはないと思うと寂しさと安堵が入り混じりとても複雑な気持ちになりましたが、老後は友人と隣同士で住み孤独死だけにはならないように日々生存確認をしながら生きていくのだろうと希望も何もない未来を想像しています。


追記

この記事を読んだ友人から「disってんの?」とツイッターのリプライが飛んで来ましたので(連絡手段がもっぱらツイッターというのもよく考えたらおかしい…)弁解しますが、disる気など全くなく最大の愛を込めてすごく正直に書きました。愛しか込めてない。

私は孤独死に怯えながら友人と絶望を両隣に置き生きていきたい。